勝つ事に執着している俺だが、一番初めに行った賭場はパチンコ屋だった。4歳程度だったと記憶している。母方の祖父に場外馬券売り場に連れられて、馬券購入が終わってからのお楽しみで連れられていったのが、パチンコだった。
『景品のお菓子が貰える場所』としか記憶していない。換金を一切しなかった為である。(祖父いわく、子供に博打を教えるのはいけないと、考えていたそうだ)
高校生になり、ケンタッキーにて鳥を揚げるバイトを始めたのだが、ここの店長はパチスロが好きだった。ある時、彼が仕事前にスロットで大当たりをしてしまい、俺のシフトを休みにする代わりにスロットを打つように指示されたのが、博打を始めるきっかけとなった。
これが本格的な博打人生の幕開けと成ってしまうとは当時、考えもしていなかった。
俺の性格は粘り強いと言われるが、反面パチスロなどでは仇となった事もかなりある。
当時、ミリオンゴッドという一撃性の高い台があった。この台は平気で10万円以上吸い込むことがある反面、ある役が成立すると10万円以上の出玉の期待値があるとされていた。
走り出すと止まれない 諦めを知らない俺は、この台にいくら使ったかことか・・。せっかく稼いだバイト代を一日で使い果たすことが何度もあったと記憶している。
その後、社会人になり、ある程度稼げるようになった。使える金が増え、裏カジノに足を運ぶことも増えた。今も裏カジノは日本のどこかに有るようだが、そこで遊べるような大金を今は持っていないので(最低入金額が10万円、一度に張る金額の最低額は5千円が主流だ)出入りする事は無くなった。
もっぱらオンカジ専門だ。あれなら400円からバカラが出来るのだから、庶民的だ。賭け方によっては大金を賭ける事も出来るので、色々な張り方をする方々のニーズに答えられる仕様になっていると思う。
今は、タクシー運転手に成り、お陰様でお客様に恵まれ、給料も他の運転手よりも多く貰えている。
少し生活に余裕が出たので、オンカジで更に資金を増やそうと馬鹿なことを考えてしまった。仕事で新宿歌舞伎町近くまで行ったのが運の尽き・・・車を停め、オンカジに向ってしまったのだ。
30万円入金して、3,000ドル分のポイントをサイトに入金して貰った。さて何をやろうか?スロットの中にジャックポットがついている物が有るのだが、その中でゴールドラリーなるスロットを回していく。1スピン16ドルは、俺にとってハードルが高いのだが、余裕が有ると人間怖いもの知らずどんどん回してしまい、1,800ドルを溶かしてしまった。
その後、ダイヤモンドバリーと言うスロットで、少々高めの設定(こちらも1スピン5ドル)だと思いながらも、目先のにんじんを追い求めて更に1,000ドルを溶かして現実に戻ってきた。
200ドル程度が手元に残ったので、大小を打つ事にした。
大小はサイコロを3つ使い、出目の合計が11未満、若しくは以上かを当てるのが基本だ。それ以外に色々賭ける方法が用意されている。ぞろ目で30倍とかね。
師匠からの受け売りで、最低額を30倍のぞろ目に張り、メインの賭けは大か小に張るスタイルでゲームスタートする。小が続けて出ているのでツラ狙いで小に5ドル ぞろ目に1ドルの合計6ドルの勝負。あっという間に勝負が決まり、小:2、2、1の出目で勝利。
ぞろ目に成ってくれていれば、30ドルの当りだったのだが、簡単には出ない。まだバカラのパーフェクトペアの方が出易いように思うのだが、果たして如何だろうか?
ツラで来ているので、其のまま置き張りする。ベット額を上げたいのだが、コテンパンにスロットでやられていて、精神的に上げられない状況だった。こんな時に限って続くのだ。小:1、2、4 で決まり、5ドルの勝利。
こんな事なら最初から大小してりゃ良かったのだろう。上手く予想が当る時には当るもんだ。多少の余裕が有ったのだから、賭け金だってそれなりに上げられたろうし、そうすれば今日は勝利でオンカジから退場出来た。『タラ』『レバ』は嫌いな言葉ではあるが、そういった思いが浮かんでくる。
そのまま残金を換金して貰い、本日の博打終了とした。一夜の夢の終焉だ。結局勝てずに敗北で終わったのだ。
これだけ負けると言うことは、勝てる可能性も有るのだから、今後に期待するしか無い。
この物語はフィクションです。あくまでも「読み物」としてお楽しみいただくためのものであり、インカジ(カジノカフェ)を奨励するものではありません。
ネットカフェでのインカジ利用では摘発者が頻発しています。
カジノカフェ(インカジ)摘発・逮捕の情報と見解
カジノジャンボリーならリアルカジノ同様のリアルタイム即時支払い。ベットリミットや支払い限度額も大きく、安心でアツい勝負が可能です。
カジノジャンボリー